2024.03.22
維新の源流「水戸」での議員団勉強合宿|池田 ゆうき
水戸市議会議員の池田ゆうきです。
先日、茨城県水戸市で北関東ブロック議員団約20名での勉強合宿を行いました。
議員団の結束がより一層強まるとともに、多くを学ぶことができる貴重な時間となりました。
ご協力いただいた関係者の方々には大変感謝しております。
日程は以下の通りです。
【活動日程】
1日目
○カフェを貸し切っての勉強会
・「論語を学ぶ」 講師 : 新倉哲郎(群馬県高崎市議会議員)
・「街宣力アップ講座」 講師 : 大隈広郷(栃木県真岡市議会議員)
・「水戸学とは何か」 講師 : 池田悠紀(茨城県水戸市議会議員)
・「DIYアウトプット講座」 講師 : 菅野静華(埼玉県川口市議会議)
○民宿にて全員で宿泊
▲勉強会会場にて撮影
2日目
○水戸弘道館視察 ※県職員レクチャーあり
○水戸市民会館、水戸芸術館視察 ※市職員レクチャーあり
○茨城の郷土料理「あんこう鍋」を堪能
○水戸偕楽園視察
○茨城県那珂市応援演説
▲「弘道館記」の石碑が納めてある、八卦堂を特別に開けていただいた。
今回、最初の視察地に「水戸」を切望したのには大きな理由があります。
それは「水戸」が『大日本史』の編纂を進めて国体を明らかにした地であり、
水戸の歴史を正しく知れば「GHQが日本にしたこと」
「いま日本で起きていること」をよりよく理解することが出来るからです。
水戸の歴史は、大変大きな誤解を受けております。
私は高校生まで「水戸は排外的な偏った過激思想で、天皇崇拝・軍国主義の元凶となった。身分制度が厳しく、庶民が虐げられていた。」などと教えられてきました。Wikipediaにも「水戸学は天皇制、日本軍国主義を支えた思想として否定的に捉えられるようになり、戦前までのように称揚されることはなくなった。」と書かれています。
水戸で生まれ、水戸で育った私でも疑うことなく、ずっとこのような認識でおりました。
しかし、大学時代に「水戸の教育」について研究し、たくさんの一次資料を読みこみましたところ、今までとんでもない嘘を教えられていたということに気が付きました。
なぜ水戸藩はこうした虚像を作られてしまったのか。
その原点はGHQ占領下に行われたWGIPにあります。
WGIPとは、ウォーギルトインフォメーションプログラムの略で、日本人に大東亜戦争の全ての責任を負わせ、罪悪感を抱かせる洗脳プログラムです。これは陰謀論ではありません。
明星大学戦後教育史研究センターにも貯蔵されているGHQ内部資料にしっかりと記載されたプログラムです。
信じられない方は、WGIPで検索してみてください。
このプロジェクトの一環として行われたのが、プレスコードやラジオコードなどの徹底した情報統制、そしてGHQにとって都合の悪い書物を抹殺する焚書などでした。
こうして、マスコミ・教育を巧みに利用して日本人に自虐史観を植え付けていったのです。
水戸藩の書物も大量に焚書扱いとなり、危険な思想として誤ったレッテル貼りをされました。
この影響を今でも大きく受けている訳であります。
▲2024年3月議会において同様の発言をしました。
水戸藩で生まれた尊皇攘夷という言葉を皆さんはどのように捉えているでしょうか。
「天皇を崇拝し、外国を追い払う」と認識されている方は、この影響を受けていると思ってください。
「尊皇」とは、日本の国体を護ること。つまり、天皇陛下が祭祀者として国民の安寧を祈る「権威」であり、その天皇陛下に任命されたものが代わりに「権力」をもって政治を司るという日本国の形を護るということ。
「攘夷」とは、異国のことを良く分析し、異国に侵略されない文明の進んだ国にするということでした。
本当は、バランスを重視し、あらゆる分野で日本の最先端を行き、庶民への愛にあふれていた水戸の先人たち。
「英霊達はひどい誤解を受けている現状を、天国からどのように見ているのだろうか。英霊達に誇れる水戸を作っていかなければならない!!!」
私はこのような思いから、大学生2年生で「将来は政治の道に進み、日本人・水戸人の自虐史観を是正する!」という志を立てました。
同じ志をもった仲間が集まった参政党。こんな政党ができるとは思っていませんでした。
先人が身命を賭して護ってくださったこの日本のために、ともに頑張ってまいりましょう!
【補足:水戸の自慢できる歴史】
・ 『大日本史』の編纂は約250年間をかけて完成した、水戸藩の大事業であった。
・ 水戸藩は藩の予算の3分の1を使って、『大日本史』編纂事業を行った。
・ 水戸藩には「どんなことがあっても朝廷に弓を引いてはいけない」という密命があった。
・ 偕楽園は当時では大変珍しい、庶民にも開放した大名庭園であった。
※「庶民と偕(とも)に楽しむ庭園」を略して偕楽園と名付けられた。
・ 第9代藩主徳川斉昭公は「農民らのおかげで食にありつくことができていることを忘れないように」と常に農人形にお米を添えてから食事をなさっていた。
・ 天狗党の構成員は半数以上が農民であり、斉昭公の永蟄居処分への反発から反乱を起こした。
・ 偕楽園には約100種類の梅が約3000本も植えられている。
・ 偕楽園に梅が植えられた理由は、
① 第9代藩主徳川斉昭公が、冬を越えて最初に咲く花という“魁”の心を大事にしたから
② 梅の異名は「好文の木」であり、文教の府として日本を支える水戸であってほしいと願ったから
③ 梅は保存食となるので、非常時に飢えを凌げるから
※ 全国で推定30~50万人が亡くなったとされる天保の大飢饉の際、水戸藩は餓死者が0だった。
・ 水戸では「一張一弛」(弓はずっと張っていては使い物にならなくなる。緊張と弛緩が一体でなければならない)という考え方を大事にしたため、“張”の弘道館と“弛”の偕楽園を作った。
・ 弘道館の設計は徳川斉昭公自身が行い、建学の精神がすべて具現化されている配置になっている。
※ 文武不岐、神儒一致、学問・事業一致など
・ 弘道館では、生涯学習・アクティブラーニング等、今の教育界で求められている教育が行われていた。
・ 弘道館には医学館、天文台、専門学科(諸礼・音楽・兵学・軍用・歌学の各局)などが置かれあらゆる分野において高い水準であった。
・ 第2代藩主徳川光圀公の命によって書かれた『救民妙薬』によって、多くの庶民の命が助かった。
・ 吉田松陰や西郷隆盛は水戸学を学び、心酔していた。
※ 吉田松陰は獄中での手記に「余深ク水府ノ学ニ服す。謂ヘラク神州ノ道斯ニアリト」と記している。
・ 水戸には、「日本最強の歩兵隊」と呼ばれた水戸第2歩兵連隊があり、パラオのペリリュー島にて奮闘した。
・ 台湾で飛虎将軍として祀られている杉浦茂峰氏は水戸の出身である。
参考:弘道館の建学の精神が込められた『弘道館記』=水戸藩とは何かがここに詰まっている!
(現代語訳)
「日本は天孫が降臨してから長い間、皇統綿綿一度たりとも断絶がない神国である。この国体がずっと維持され、道を弘め続けてこられたのは、天皇と孔子のおかげである。だから、神道と儒教を同じだけ大切に敬いなさい。そして私たちは先祖の偉大なる恩恵を受けて生活できている。この恩に報いるよう、先祖代々守り継がれてきた国体を守り、より道を弘めるために、海外の教えの長を採り、忠孝一致、文武一致、政教一致、学問事業を一致させ、国家のために力を一つにしなさい。」
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池田 ゆうき
Ikeda Yuki
所属議会
水戸市議会議員(茨城県)
経歴
慶応義塾大学文学部日本史学専攻 卒業
㈱Rebase スタッフ兼監督
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