2024.09.13
郷土史から学ぶキリシタン弾圧の側面|南波 のぶたか
長崎県大村市議会議員の南波 伸孝(なんば のぶたか)です。
長崎県大村市は、戦国時代に日本最初のキリシタン大名になった領主、大村純忠(おおむら すみただ)の地です。
多くのキリシタン史跡が残る場所でもあり、江戸時代には「郡崩れ(こおりくずれ)」というキリシタン弾圧があった所でもあります。
今回、キリシタンについてブログを書くきっかけになったのは、今年が中学校教科書検定の時期と重なるため、歴史教科書にキリシタンの出来事がどのように掲載されているか、気になったことからでした。
教科書に掲載されている史実には特定の立場から書かれたものも多く、歴史の表面だけを捉えると偏った歴史感になる恐れがあります。何事もそうですが、特に歴史に関しては中立的な視点で物事を捉える必要があるのではないでしょうか。
では、大村領では大村純忠がキリスタン大名になったことで何が行われたのか。教科書には載っていない歴史の側面をご紹介したいと思います。
1574年、度重なるキリスト教の宣教師からの要請を受け、大村純忠がついに許可し、次のようなことが行われました。
・領内にある神社仏閣のいっせい焼き討ち(計62カ所)
・キリシタンに改宗しない大村領民の追放
・キリシタンによる僧侶などの殺害
これらは歴史的事実であり、大村市には実際に、僧侶が現在の佐賀県嬉野市に仏教と身の安全を守るために逃げようとしていた際、キリシタンに見つかり殺害された場所があります。
参照元:歴史資料館に掲示されていたものを作表
後の江戸時代(1647年)に、その場所に鎮魂のために大日堂が建てられました。現在は、お堂はなく石碑だけ現存します。
また、大村純忠は長崎の土地の一部をイエズス会に寄進をしています。
これは、外国に国土を奪われたと言っても過言ではないと考えます。
日本にキリスト教が伝わったのは1549年、イエズス会宣教師フランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸したことから始まり、その後ポルトガル人宣教師ルイス・フロイスが来日し、織田信長から布教活動を許され、キリシタンが急増しました。
しかし、信長の後継者である豊臣秀吉は、突如としてキリスト教の布教を禁じる「伴天連(ばてれん)追放令」を発しました。この背後には、神社仏閣の焼き討ち以外にも西欧人による日本侵略の意図や日本人奴隷の問題など、秀吉がどうしても許せない事情があったのだと思います。
秀吉は当初、信長の政策を継承し、キリスト教の布教を容認していました。しかし、九州平定(※)をきっかけに、西欧人による日本の国土の侵略や日本人奴隷の売買など、西欧人の行為に対する懸念が高まりました。
※九州平定とは: 関白となった秀吉は、天正13年(1585年)10月島津氏と大友氏に対し、朝廷権威を以て停戦を命令(九州停戦令)。そして、停戦に違反したとして天正15年(1587年)に九州の島津氏を降伏させました。
秀吉は日本人奴隷の売買を即刻停止するよう命じ、すでに売られてしまった日本人を連れ戻すことを求めました。
それほど彼にとって日本人奴隷の問題は、大きな衝撃だったのではないでしょうか。
このように、秀吉のキリシタン弾圧は、一見非道な行為に見えるかもしれませんが、その背後には彼の国と人々を守るという強い意志があったはずです。彼の行動がなければ、日本は西欧列強による侵略が進んでいた可能性があります。秀吉は日本の領土や国民の安全を守るために、最善の選択をしたと言えるのではないでしょうか。
また、キリシタン弾圧の側面には、キリシタン大名による神道、仏教徒への強制的な改宗や迫害も同じように存在していたことも、歴史的事実として認識する必要もあると思います。数社の中学歴史教科書を閲覧してみましたが、それらを踏まえたキリシタン弾圧の背景について中立的な立場で詳しく書かれているのは私が見たかぎり、わずか一社だけでした。日本人としての誇りと自信を持ち、アイデンティティを育むためにも、中立的な歴史教育の必要性を私は強く感じます。日本最初のキリシタン大名の地である大村市の中学教科書として、是非、このような出版社が採用されることを願います。
各地域の教科書センター等にて現在学校で使用されている教科書を閲覧ができると思いますので、この機会に是非、郷土史などを学びながら、今の歴史教科書がどのような掲載になっているのか一読してみてはいかがでしょうか。
※4年に一度、教科書採択の時期は検定合格した各出版社の教科書が閲覧でき、その中から1社の教科書が各地域で選ばれます。
紀元前660年の神武天皇から、現在の皇紀2684年まで世界で最も長く続いてきた日本の歴史。
その長い歴史の中で、先人たちが他国の侵略からどのようにして国土、国民を守ってきたのか。歴史から先人の叡智を学び、私も一政治家として今の世に活かしていきます。
偏った自虐史観的な歴史教育ではなく、我が国に誇りを持てるような歴史教育を子どもたちへ。
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南波 のぶたか
Namba Nobutaka
所属議会
大村市議会議員(長崎県)
経歴
昭和49年10月1日長崎県大村市生まれ。
鎮西学院高等学校卒業 会社経営
令和5年大村市議会議員初当選
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