2024.10.12
AfD(ドイツのための選択肢)というタブーの正体
Amazonで販売されている反AfDシール
令和6年10月7日 吉岡綾子(ドイツ在住)
【躍進と受難〜AfD(ドイツのための選択肢)というタブー】
2024年欧州議会選挙でドイツ第二党に躍進した新興政党AfD(ドイツのための選択肢)。その歴史と成り立ちについては前回、拙稿にて紹介した(1)。続く地方選挙でも連勝に連勝を重ねている。刮目すべきは9月1日のテューリンゲン州議会選挙で、AfDはなんと32.8%の得票率で第一党に駆け上がった。ザクセン州、最近のブランデンブルク州でもそれぞれ30%前後の得票率でSPD(社会民主党)とCDU(キリスト教民主同盟)に僅差で2位につけた。しかも最近(9月)の全国世論調査によれば全国第二位の人気政党となっている(2)。しかしAfDはその影響力の拡大に伴い、これまでドイツ国内で強い反発と激しい批判に遭ってきた。この傾向は現在も変わらぬどころか激しさを増す一方だ。メディアや主要政党の煽り方は常軌を逸したレベルに達している。おそらくはそれゆえに一般市民の反応はAfDに理解あるとは言い難い。
これは矛盾した現象である。有権者の三割前後が投票する政党なのになぜなのだろう?理論的には10人の有権者が集まればその中の少なくとも2名以上は確率的にAfDの投票者がいるはずであるが、ドイツ在住の筆者がドイツの人と社会問題について語るとき、自ら「AfDを応援している」「AfDに票を入れた」と名乗る人に遭うことはまず無い。CDUやSPDについて論ずることは容認される議論好きの民族であるが、ことAfDについては批判や嫌悪以外の反応を許されない「空気」がドイツの社会には確かに有る。「そんなことを職場で言おうものなら翌日会社に私の椅子は無い!」と囁いたドイツ人すらいる。AfDは現在なお、ドイツ社会のタブーである。
【スキャンダル】
AfDが問題視された代表的な事件について、いくつかの重要な出来事を時系列で記してみよう。
2018年 ドネーションスキャンダル
AfDは2017年の総選挙前に、ドイツの政治献金規制に違反して132,000ユーロの違法献金を受け取っていたことが発覚。特にアリス・ワイデルに関連する献金が問題視され、党に50万ユーロ以上の罰金が科された。(3)
2020年 ナチス擁護発言
一部のAfD議員のナチスに対する擁護的な発言。チューリンゲン州の党首であるビョルン・ヘッケは、2017年にベルリンのホロコースト記念碑を「恥の記念碑」と呼び、ドイツはナチスの過去を悔やむことをやめるべきだと主張。また、2018年には元党首のアレクサンダー・ガウランドが、ヒトラーとナチスの時代を「鳥の糞のようなもの」と表現し、これは数千年のドイツの歴史の中では取るに足らないものだと述べた(4)。
2021年 ロシアとの関係疑惑
AfDの議員がロシアから不正な資金提供を受けたとの疑惑が浮上し、ロシアからの資金提供や選挙への干渉が疑われ大々的に報じられた(5)。ただし記事中にも証拠は無いと記述されている。
2022年ライヒスビュルガーテロ未遂事件
ドイツ国内で大きな波紋を呼んだ。ドイツ帝国の再建を画策する極右グループが国家転覆計画を立てて逮捕され、その中にはAfDの元議員も含まれていた(6)。
筆者註)謎の多い事件。逮捕の直接の証拠は、根城で発見された武器所有と報道されたがテロを起こせるレベルの殺傷能力のあるものではなかった。この事件はコロナ禍中に起こっており、このテロ組織はQアノン信奉者、コロナ・ワクチン否定論者、反ユダヤが関わっているとされた。
2024年 ナチス「ヴァーンゼー会議」再来
2024年1月にAfD党員が中心となって昨年11月に行われた会議で、ドイツ以外にルーツを持つ人間を「再移民(Remigration)」させるべきだという趣旨の議論をしていたことがわかり、改めてAfDに対する強い批判が国内で噴出し、多数のデモが発生した。同党の会議が行われていたのはベルリンにほど近いポツダム市郊外のゲストハウスであり、奇しくも、ユダヤ人の大量虐殺を政治的に決定したと言われる1942年のヴァンゼー会議が行われた別荘からもそれほど遠くなかったことから、この二つを結びつけてAfDを批判する報道がなされた。(7)
【政治的孤立と迫害】
ドイツ連邦警察による監視対象に
AfDは昨年10月にドイツ連邦憲法擁護庁(BfV)の監視対象となったことが報じられた。BfVはAfDを「極右過激派の疑いがある組織」として監視することが正当であるとする判決を下し、これにより、BfVはAfDの党員を盗聴し内部告発者を使用して党の活動を調査できるようになっている(8)
この監視強化の背景には、AfDの一部政治家による発言を移民やイスラム教徒に対する差別であり、ドイツの民主主義の原則に反するものとして判断された結果だ 。AfDはこの措置を「政府による陰謀」と批判し、引き続き法的に争う意向を示しているが、これまでのところその主張は退けられている (9)。
AfD禁止法案
ドイツで極右政党としてのAfD禁止に向けた議論が進められている。これに関与しているのは主にSPDや緑の党である。SPDのサスキア・エスケン党首は、AfDが民主主義に対して重大な危険をもたらすとし、同党の禁止を排除すべきでないと表明。一方、野党CDUのフリードリヒ・メルツ党首はSPDの提案に反対し、禁止は逆効果だと主張している 。
この議論はドイツ国内で賛否が分かれており、AfDを禁止することが実際に政治的・法的に可能かどうかについても議論されている。1956年に共産党が禁止されて以来、政党が禁止された事例はなく、慎重な姿勢も見られている(10)。
政治的孤立
AfDはドイツ国内の主要政党からも孤立しており、他党との連携はほとんど無い。これには、党内における過激な発言が問題視されていることが影響しているといわれている。
ドイツで躍進を遂げるもう一つの新興左派政党BSW(ザラ・ヴァーゲンクネヒト同盟(11))の党首であるヴァーゲンクネヒト氏はAfDとの連携を明確に拒否している。
「我々は政策の内容について事前に話し合ったり共闘することはありません」BSWチューリンゲン声明より(12)
欧州議会においてもAfDは、他の右派政党との連携を断られるケースが複数報告されている。例えば、欧州議会右派会派の「ID=アイデンティティーと民主主義(13)」はAfDのメンバーを除名した。これは2024年5月にEU議会選に筆頭候補として出馬していたマクシミリアン・クラーが「SS(ナチス親衛隊)の構成者全員が犯罪者とは言い切れない」と発言し、国内外で大きなスキャンダルとして報道されたためだ。。この件により、IDグループの結束と評判が損なわれたとして、他のメンバーも含めて除名されることとなった(14)。
また、ハンガリーの首相オルバン率いる「欧州の愛国者(Patriots for Europe)」や、オーストリア自由党(FPÖ)などの右派勢力が新しい欧州議会内の連携を模索している中で、AfDはこの新連携に加わることも難しい状況にある。これは、IDグループからの除名や他の右派政党からの距離を置かれていることが背景にあるとされる(15)。
さらに、欧州議会内での委員会のポスト分配においても、AfDは他の右派政党と連携できず、重要な役職を得ることができなかった。これは「コルドン サニテール(Cordon sanitaire)」と呼ばれる、極右政党を孤立させるための対策(16)の一環として行われたもので、AfDの政治的影響力を制限する狙いがあるとされている。
これらの状況により、AfDは欧州議会内での立場が非常に厳しくなっており、他国の右派政党からも距離を置かれる結果となっていることが伺えるだろう。
また、AfDの政治集会や演説会が中止されたり、抗議活動によって妨害されたりするケースも増えている。国内ではショルツ首相自ら「民主主義を守るため」「極右反対」デモの呼びかけを行った(17)。
【タブーの正体】
AfDは「愛国主義」や「ナショナル保守主義」を掲げ、伝統的な家族や国家の価値を重視する一方で、EUの中央集権化やグローバル化に反対する姿勢を強調している。
AfDは社会に受け入れられていないのではない。有権者の投票行動を見ればそれは明らかだ。ドイツでAfDが攻撃される時、常に話題にのぼるキーワードは「ネオナチ」「ナチス」である。それではAfDが右翼として反社会的行動に出ているかといえば上記のごとく、ナチスを擁護するというよりは「非難しすぎに対する反省」の弁に留まっているに過ぎない。だがこれだけでもドイツでは誹謗中傷の対象となりうる。哀れな有権者はこの境界線で右往左往させられているのだ。AfDという勢力が現代の世にナチスを復活させるかの如く伝える報道こそがグローバリズムによる大衆煽動とは言えないのか?内心そのように感じるからこそ、口では保守思想を過激な右翼と罵りながら投票所ではこっそりAfDに票を投ずるドイツ人が増えている、これが現実だ。
ここで、戦後ドイツという国の抱えた根深い病巣に言及せぬわけにはいかない。ドイツでは「愛国」「伝統」または「ドイツ」「ドイツ的なるもの」という表現がタブーと目されることしばしばだ。一国民が故郷を愛し、家族を想い護らんとする。人としてごくごく自然な「愛情」や「誇り」がドイツの社会においては一種の罪悪感と結びついている。これこそがドイツという国の最も奥底に眠る国民病なのである。
行き過ぎた気候変動対策やポリテイカル・コレクトネス、大量移民による弊害としての犯罪を含む様々の受難に遭って、国民はようやく家族という単位や国や国語の意味について考えを巡らせるようになった。しかし、当たり前とも言える人間の基本的な価値観の重要性を語ろうとするとそこには「先の大戦の反省」というお題目のもとに「国家」を語ることをタブーとする空気が立ちはだかって国民は立ちすくんでしまう。AfDという存在、その躍進と受難の数々はまさしく、逡巡に逡巡を重ねながら己れの本質に向き合う現代ドイツ国民の姿を映し出しているのだと、そのように思えてならない。
今後、AfDがどのようにしてドイツ社会の中でその存在感を示し続けるのか、また反対勢力とどのように向き合っていくのかが注目される。
(1)ドイツための選択肢〜顔を持たぬ新興勢力
(2)AfD-急進的で根本的に絶望的
(3)AfDドネーションスキャンダル(ウイキペディア)
(4)AfDリーダー達の攻撃的発言集
(5)AfDはどの程度ロシアに友好的なのか?
(6)ドイツクーデター未遂事件(ウイキペディア)
(7)2023年ポツダム極右会議(ウイキペディア)
(8)ケルン行政裁判所で連邦憲法擁護局がAfDに勝訴(連邦警察裁判所ホームページ)
(9)AfDが憲法擁護局を相手取って訴訟
(10)メルツ氏、AfDの禁止について緊急警告:「水車に水を流すが如く」
(11)ザーラ・ヴァーゲンクネヒト同盟(ウイキペディア)
(12)サラ・ヴァーゲンクネヒトAfDとの連携を否定
(13)オルバン氏とルペン氏が協力 欧州議会右翼新会派、第3会派に
(14)AfD、ID党からの除名を先取りか
(15)オルバン会派とAfD、欧州ポスト得られず
(16)コルドン サニテールとは元来伝染病の「防疫線」を指す用語。
政治用語として現在では極右回避のために取られる防衛策を表す。
(参考)接近も拒絶も極右を利する? 欧州「防疫線」戦略が抱えるジレンマ
(17)ドイツ首相 ネオナチの台頭を警告 アウシュビッツから79年