2021.04.25
習近平を取り巻く権力闘争(前編)
2021/04/25 橋本 秀行
習近平政権が発足したのが2012年11月15日。そこから約9ヶ月遡った2012年2月に薄熙来事件(注1)が起こり、それをきっかけに、習近平氏(以下習氏)を取り巻く権力闘争の号砲が切って落とされていたと、筆者はみている。
2012年2月時点では、未だ胡錦涛政権末期であり、習氏は国家副主席の地位であった。同じ太子党に属する薄熙来氏(以下薄氏)は、習氏の幼馴染でありながらもライバルの一人とされており、当時重慶市共産党委員会書記で、様々な施策(外資の積極的な導入、マフィア撲滅、格差是正)で成果を出していた薄氏を脅威と感じていた節がある。
実際、薄熙来事件前の薄氏は、チャイナセブンと呼ばれる、中国共産党中央政治局常務委員会入りが有力視されており、その後ろ盾である周永康氏(以下周氏)と共に習近平政権発足後、権力掌握には“邪魔”な存在になる可能性が否めなかった。
また、「薄熙来事件の7日後、秋に開く党大会での総書記就任を確実にしていた習氏は米国に渡り、オバマ政権で副大統領の職にあったバイデン氏と長時間にわたって会談した。その際にバイデン氏から、薄氏が習氏の総書記就任を阻もうとしているとの情報がもたらされたのではないか。そんな臆測がくすぶる。」
周氏に関しては、習近平政権発足後のチャイナセブンには名を連ねなかったが、依然として、公安・司法、石油閥に多大な影響力があっただけでなく、江沢民元国家主席(以下江氏)の後ろ盾もあったため、習氏にとっては脅威であったに違いない。
ただ、「周氏の最初の妻は江氏の親族だが、2000年ごろ、彼によって交通事故と見せかけて殺害された。元テレビキャスターの現在の妻と結婚するためだったとされる。」この事実を知った江氏は激怒し、自らが後ろ盾であったにも関わらず、習氏による周氏の摘発に同意せざるを得なかったと思われる。
その周氏の摘発前後に、習氏は、制服組のトップ(中央軍事委員会副主席)であった徐才厚氏(以下徐氏)と郭伯雄氏(共に江沢民派閥)を失脚させることに成功している。特に、徐氏に関しては、胡錦涛政権の時に、江氏の後ろ盾を基に軍部でも絶大な権力を握っていた為、胡氏にとっても胸のすく事件であったのではないかと推測する。
これらの権力闘争の結果、習政権第1期(2012年-17年)にチャイナセブンに3人居た江氏の後ろ盾の人材が、習政権第2期(2017年-現在)には一人もチャイナセブンに入れない結果となった。
しかし、その権力闘争の副作用として、習氏は少なくとも第1期の2-3年の間に、約20回程度の暗殺未遂、薄氏や周氏を失脚させるための実行部隊のトップとして指揮を取った王岐山氏に至っては、第1期の間に27回の暗殺未遂があったと言われている。
現在も続く中国国内の権力闘争に関しては、後編に掲載するとして、私達日本人は、これらの権力闘争をうまく使って、中国国内の分断工作をするぐらいの気概が必要なのではないかと筆者は考える。
出典 : BBC/2013/11/11
https://www.bbc.com/news/world-asia-china-17673505
(一部参照)
【参考URL】
1. GLOBAL TIMES 「Bo Xilai gets life in prison」
https://www.globaltimes.cn/content/805752.shtml
2. NIKKEI Asia 「Xi haunted by fears of assassination」
https://asia.nikkei.com/Politics/Xi-haunted-by-fears-of-assassination
3. 日本経済新聞 「中国、党幹部の摘発減少 習氏への権力集中反映か」
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM27EB00X20C21A1000000/?unlock=1
4. 日本経済新聞 「失脚した薄熙来氏がすごした場所 北京ダイアリー」
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM082H10Y1A200C2000000/?unlock=1
5. Iza 産経デジタル 「周永康氏はなぜ“粛清”されたのか 元妻を殺害?江沢民氏が激怒」
http://www.iza.ne.jp/kiji/world/news/140731/wor14073110480007-n2.html
6. Newsポストセブン 「中国腐敗摘発トップの王岐山氏 4年で27回命狙われる」
https://www.news-postseven.com/archives/20170115_480623.html?DETAIL