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政党の徳(アレテー)を考える

2020/12/26        伊達 善信

 

政治の世界において政党とは、同じ信念(仏: idéologie イデオロジー)もしくは政治的立場の人々の集団であり、その目的は間接民主制を採用する国家で集団の主張を通すことにある。一方で、集団の主張を通すためには、議会において多数派を形成しなければならない。

したがって党内で信念を先鋭化させることと、党外の民衆に広く受け入れられるための妥協の中庸(希: μεσότης メソテース)に政党の徳(希: ἀρετή アレテー)があると筆者は考える。また、そのような妥協は恥(希: αἰδοῦς アイドース)のためではなく大局的な事由による自制であるべきであろう。というのも、アリストテレスが「恥はどちらかといえば気分であって性質ではないため、徳と表現されるべきではない」(ニコマコス倫理学より引用)と指摘したように、信念が確立していないために自信を持てないことと、確固たる信念を持ちながらも政局を有利に進めるための戦略としての忍耐や自制では品性の観点から大きな差があるからである。すなわち、我が党の国家国体を護り維持する信念に置き換えるならば、時勢のおもむくところに従い、耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び、致し方なく声高に唱えることを自粛することは、批判される謂れのないことを知らずに恥じていることとは決定的な差があるということである。9世紀のペルシャで編纂された伝承録「サヒーフ・ムスリム」にこのことがわかりやすく解説されている。「あなたたちの中で、忌まわしいものを見かけた人がいたならば、自分の手で直しなさい。またそのようにする力が十分でないなら、舌(弁論)を以って直しなさい。またそのようにする力が不十分なのであっても、心から忌むべきなのであって、それはもっとも弱い信念なのだ(巻1第84)」日本でいえば平安時代、遣唐使などを通じてシルクロードの先ペルシャから伝来したものは白瑠璃碗だけではないだろう。

長々と前置きを書き連ねたのは、この海外情報翻訳の活動をすればするほどアメリカやフランスの「革命後の規範を保守する」思想が我が国のいわゆる八月革命説に重なる不気味さを思い知らされているからである。

 

我が国の存亡に関わる喫緊の課題といえば、防衛、司法改革と少子化対策(家庭の保護)である。今回は各分野を順番に見ていきたい。

フランスの有力紙、フィガロは11月末の記事で総合安全保障に関する法律などを整備するように主張した。「政府幹部から明確な働きかけが必要である」などと言うが、自由を履き違えたフランス風情豊かな主張ではないか。移民危機を見据えたもののようであるがフランスに来る移民というのは大概にして植民地支配によってフランス語を押し付けたからこそ、それを習得した人達が逆流入しているのだ。移民と呼ぶのも不適切ではないか。自分は政府を使って本心は付き合いたくもない人のところにわざわざ悪戯をしておいて、相手が振り向いたら被害者面をするのだから、お上手ではあるが悪徳である。勿論、我が国はそのような歴史を共有する国ではないので、今後そのような罠にかからなければ良いのである。

同じ頃、インドネシア石炭鉱業協会と中国石炭輸送流通協会で取引が成立し、中国が来年、14億6700万ドル相当の石炭をインドネシアから購入することになったとロイターが報じた。先だって始まった中国の豪州への制裁に加担したようなものだ。金ばかりが気になって安全保障のことが視野に入っていないあたりが、優れていない。このような事態に陥ったのは、インドネシアが中国との貿易に依存していることに加え、中国発祥の疫病で下火になってしまった観光業とも関係があるだろう。今年は後半にかけて世界的に安全保障状況が後退している風潮であるから仕方ないとも言えるが東南アジアの未来に影を落としたことは間違いなかろう。

この2つの事象に共通する根底的問題は、その時々の財政上の収支に目が眩むあまり、将来の国の形に与える影響を省みなかったことである。政治を行う上では政策の立案の段階から、広く永い視野で政策のもたらす効果を検討するべきではないか。

 

司法の分野でもここ最近でいくつか興味深い動きがあった。米国でテキサス州が最高裁に選挙の不正を訴え出た問題で、12月11日、最高裁は訴えを受理しない判断をした。受理した上で却下するならまだしも、受理すらしないのは司法の自殺行為とも言える。まさに「徳」が足りなかったということだろうか。この動きがどのような影響をもたらすのか注目したいところだ。

インドのナヴバラット・タイムス紙が12月17日に報道したところによれば、インドのウッタル・プラデーシュ州では最近、愛のジハード罪なる犯罪を規定する法律が成立し、早くも被害者が出ている。ある成人女性が自由意志に基づき改宗の上結婚したところ、ヒンドゥ国粋主義に基づく武装組織ヴィシュヴァ・ヒンドゥー・パリシャッドの青年部バジュラン・ダルに捕まり虐待を受けた。そもそもイスラム教の婚姻要件を知っていれば愛のジハードなどというのがいかに出鱈目かわかるはずであるが、それはさておき、この22歳の女性がこの法の名の下に受けた人権侵害は筆舌に尽くし難いものがある。この女性は移動中に襲撃され、バジュラン・ダルと良好な関係にある警察署に連れ込まれ、DVシェルターに入れられた上、妊娠中の胎児を強制中絶させられたという。

日本と中国の悪いところを採ったような最悪の事件であるが、せめてもの救いは司法の判断がまともであったことだろう。治安判事裁判所は彼女に夫との同居を許可し、愛のジハード罪の求刑を却下した。

処変わって欧州でも抽象的に類似する事例があった。オーストリアの国会は昨年5月に小学校における頭巾着用を禁止する法律の反対を押し切り可決していた。幼女に脱衣を強制するという変態法律の詳細は割愛するが、オーストリアの大衆紙クローネン・ツァイトゥングが報じるところによれば、憲法裁判所は今月この法律を違憲と判断した。これによりオーストリアの幼女達は隠したい部分を隠す権利を取り戻したのだから、欧州の司法も捨てたものではない。

このように国を守りたい気持ちの高まりに任せて十分な検討をしないまま、右翼的ではあるものの、どう考えても保守的ではない立法措置が取られてしまこともある。司法の徳は法の字義を判決文に書き写すだけではなく、そのような悪法を見抜き抑制することだ。

 

日本の課題でも最も深刻なものは家族の保護と少子化対策だ。この問題についても海外の情勢は日本の未来を検討する材料になる。ハンガリーのマグヤー・ヒーロップ紙が12月15日に報じたところによれば、ハンガリー国会は政府主導の基本法改正案を賛成134票、反対45票、棄権5票で可決した。子供の正しい道徳教育を受ける権利を保護するとともに、同性カップルによる養子縁組に歯止めをかける狙いのようだ。この件についてユディット・ヴァルガ法務大臣はFacebook上で次のように発言している。

「ハンガリーは自由意志に基づく男女の共生としての婚姻制度と家族を国家存続の基礎として保護する。家族関係の基礎は婚姻と親子関係である。母親は女性、父親は男性である。」

これぞ政治家の徳であると私は声を大にして主張したい。私が確認した限り法相の投稿のコメント欄には理解を示す国民の声が多く見られたものの、別の箇所では左派や国外の勢力からの罵詈雑言が溢れていたし、今の時代そうなることは明らかである。それでも、多数の政治家が国家の存亡をかけて正義を貫いたことでハンガリーは退廃の道から脱出することができたのである。

我が国と同様の発想で少子化問題に取り組んでいるのが少子化四天王の一、韓国である。韓国保健福祉部の発表したレポートを見ると、韓国の少子化が解決できる筈もないことがよく見て取れる。文在寅政権は公保育40%拡充や共同育児施設を広めていく方針であり、全体的に親の負担を減らす政策を打ち立てている。しかし、統計的に親の余裕と出生率はどちらかといえば反比例の相関関係である。さらに子供を家庭から引き離す政策をとれば、将来的に家庭への思い入れの弱い国民が増えるに決まっているではないか。この手の政策の巧妙な点は、政治に興味のない人から見れば、まるで少子化対策に取り組んでいるかのように見えるところだ。これこそ保守の衣を着た共産主義で、悪徳な政治の代表格とも言えるだろう。文在寅政権が韓国の為に政治をするつもりがあるとも思えないが、日本も現状では似たような路線を突き進んでいるだけに先が思いやられるというものだ。

 

今回は近代の政治の浅はかさと、それに対抗する各国の姿を紹介した。本当は他にも話題はたくさんあるのだが、諸事情により今回は掲載が困難である。

来月は年を跨いで1月となる。英国のBREXITはいよいよ最終段階に到達していて、ジョンソン首相は漁業権問題など、最後の駆け引きに躍起だ。また1月6日には、いよいよ米大統領選に決着がつくが、どのような結果になっても国民の半分は絶対に納得しない最悪の状態だ。たった1年でここまで世界の常識が根底から覆されたのはソ連崩壊以来のことではないか。今年1年にお世話になった皆様に感謝の気持ち、そして来年も世界の動向を見極めながら日本の政治に課題を問いかけ続ける決意を表明して本稿の締めとしたい。

 

 

 

政党の徳(アレテー)を考える

Aristotle (384-322 BC) Statue at the Aristotle University of Thessaloniki, Greece. by solut_rai, licensed under CC0 1.0 Universal (CC0 1.0)

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