
2026年7月2日 藤原実穂子(米国在住)
米国には「NIMBY(Not In My Backyard:我が家の裏庭にはお断り)」という表現がある。公共の利益に資するとされる施設であっても、自分たちの住環境や生活圏への設置を断固として拒絶する住民を指す言葉だ。日本における基地反対運動などを連想する向きもあるかもしれないが、例えば米国のBLM(Black lives Matter)のような特定のイデオロギーに基づいた運動ではなく、その本質は左翼的な過激活動家とは一線を画す。むしろ、自分たちの生活基盤である静かな「裏庭」を直接的な脅威から守ろうとする切実な反応である。長年、こうした反対派は「NIMBY=エゴイスト」というレッテルを貼られてきた。しかし、彼らの運動を単純な「利己主義」と断じるのはあまりにも短絡的だ。実態としてのNIMBYは、住民の日常を軽視し、突然地域の在り方を決定しようとする「傲慢さ」に対する自己防衛であることが大半だからだ。
この象徴が、昨今の米国で注目を集める『グリーンNIMBY(再エネ施設反対運動)』である。普段は環境保護や多様性の尊重を主張するリベラル層までもが、自身の「生活圏」である「裏庭」に大規模な風力・太陽光発電計画などが浮上すれば、激しい反対運動を展開する。生態系・景観への悪影響や、周辺住民の健康面への重大な影響についても、彼らは十分に認識しているからだ。ここでの対立軸は、いわゆる「環境左派 vs. 保守右派」ではなく、「利益追従のグローバル企業 vs.生活圏を安全に保持したい個人」であることが伺える。米国では「NIMBYは身勝手だ」とする論調が一般的であるが、多分にメディアの印象操作を含んでおり、安易に同調すれば問題の本質を捉え損なう恐れがある。多くの地域が対峙しているのは、自然環境を含む人々の生活基盤という「共有財」が、特定企業の利益や脱炭素目標という都市部主導の欺瞞のために一方的に犠牲にされるという、構造的な不条理ではないだろうか。
「全米一の環境先進州」として知られるバーモント州は、民主党バーニー・サンダース上院議員の地元であり、州内でつくられる電力の99.9%が再生可能エネルギー由来である。しかしこのリベラルな気風の地で、大規模な風力や太陽光発電の開発がこの10年ほど事実上の停滞状態にあるという。その根底にあるのは、自然との共生を重んじる住民たちによる切実な抵抗だ。美しい尾根を埋め尽くす風車、山林の爆破・伐採、重機のための道路建設、そして大地に穿たれる巨大なタービン。これらは彼らにとって「地球環境保護」という大義名分とは相容れない「環境破壊」であり「負の遺産」に他ならない。本来であればクリーンエネルギーの理念に賛同するはずの人々が、「NIMBY」という不名誉なレッテルを厭わず、自然や生活環境を守るために抗い続けている。『クリーンな環境を求めるバーモント州民の会 (Vermonters for a Clean Environment)』の創設者で代表のアネット・スミス氏は言う。「開発業者は土地が安く、人々が貧しい場所に行く。」かつて自然の恵みであった「WIND」という言葉は、バーモントでは忌み嫌われる「四文字のタブーワード」と化した。スミス氏自身はオフグリッド (公共のインフラに頼らず電力等のライフラインを確保する建物や生活様式) の小規模太陽光発電を使って小さな農場を営んでおり、決して再エネを全面否定しているわけではない。しかし、生態系の破壊や愛着ある景観の喪失など、地域環境やコミュニティに悪影響を及ぼす不適切な開発や強引なプロセスには真っ向からNOを突きつけている(1)。
こうした状況下で、再エネ開発に反対する各地の「NIMBY」の追い風となっているのが、トランプ第2次政権が進める大胆なエネルギー政策の転換である。その代表が「洋上風力発電プロジェクト」の凍結や中止だ。開発企業に対しては多額の補償金を支払う一方で、その資金を石油、天然ガス、LNG(液化天然ガス)といった化石燃料プロジェクトへ再投資することを義務づけるなどの条件が付されている(2)。さらに、国家安全保障上の懸念を理由に、250件を超える陸上風力発電プロジェクトの審査も停滞。現政権は、エネルギー供給の信頼性確保や安全保障を強調するとともに、風力発電が外国企業や補助金に過度に依存している現状を批判している(3)。
一方、連邦政府の措置に対し、再生可能エネルギーを推進するニューヨーク州などの17州や関連団体は、法的手段を講じて対抗。その結果、2025年12月、マサチューセッツ州連邦地方裁判所は州側の主張を支持し、「連邦政府による風力発電プロジェクトの許認可停止命令を無効」とする判決を下した*。トランプ政権は当初、控訴によって争う姿勢を見せていたが、報道によれば、2026年6月10日に控訴取り下げの手続きを開始したとされる (4) 。このように、米国におけるエネルギー政策の根幹は、政権交代のたびに激しい権力闘争の渦中に置かれているのが現状である。
日本国内の現状に目を転じれば、少子高齢化で衰退する地方自治体に対し、大規模エネルギー施設の誘致が地域活性化の「起死回生策」という美辞麗句を伴って提示されるケースが目立っている。だが、その背後には看過し得ない構造的な罠が張り巡らされているように見える。
まず、計画の推進にあたっては、「産業振興」や「雇用創出」、「地域振興基金」といった様々な経済的側面が過度に強調される。開発が「地域を潤すために不可欠な事業」と位置付けられることで、住民側にとっては異論を唱えづらい「同調圧力」が形成されることも少なくない。例えば、秋田県能代市の風力発電事業においては、「自治体や自治会などの活性化を支援する」などの名目で、売電収入から多額の「基金」を積み立てることが約束されたが、このことで事業に反対できない雰囲気が作られていると感じた住民も少なくない(5)。また、同開発業者が地元の漁業協同組合に支払った「漁業協力金」を巡っては、2025年6月に仙台国税局が、協力金は「事業に必要な経費」ではなく「交際費」に当たるとし、5年間で約6億円の申告漏れを指摘したことも報じられた(6)。巨額のマネーで漁業関係者の合意を取り付け、反対派を封じ込めたのではないかとの批判があがっても、不思議ではない。このように、金銭的なメリットが組織(漁協・市)に提供される一方で、個人の生活環境を守りたいという住民の声が軽視される構造が存在している。
たとえ開発前に住民説明会が設けられたとしても、それは単に決定済みの計画を形式的に承認させるための空虚な儀式に過ぎないのが実情のようだ。業界の担当者は、住民が抱く切実な懸念や不安を事実上放置したまま、あらかじめ用意されたシナリオをなぞるだけ。住民が抱く絶望の正体は、結論が既に出ている「出来レース」への参加を強いられたことによる、救いようのない無力感そのものである。極めて不条理なのは、環境破壊や健康被害といった真の損害を住民が実感した時には、既に施設は完成し、もはや後戻りできない状況に追い込まれている点だ。開発によって得られる利益は外部へ流出し、地域には「我慢」という負の遺産だけが蓄積される一方で、期待された経済的メリットの実感も乏しい。秋田県における風力発電開発の経緯と地元の苦悩については、長周新聞の詳報が参考になる (5)。
この不条理な連鎖を断ち切るためには、個々の反対運動に留まらず、意思決定プロセスそのものの透明性を厳しく問い直し、「地域主導の意思決定」という民主主義の基盤を再構築することが不可欠である。
風力発電のタービンが発する低周波・超低周波音による近隣住民への深刻な健康被害は、いまや「世界的な」懸念事項となっている。しかし、ここには周波音測定に関する恣意的なトリックが隠されている。即ち行政や業界が標準として用いる騒音評価指標「dBA(A特性音圧レベル)」である。この指標は低周波音の特性や、複雑な周波数の干渉によって生じる「振幅変調」といった「音の物理的実態」を捉えきれてはいない (7)。
これは住民にとって、議論が始まる以前の敗北を意味する。dBA (A特性音圧レベル) は人間の可聴域を優先した設計であり、「人間がどれだけうるさいと感じるか」を測るためには便利な指標だが、風力発電に特有の低周波音や「SPPs(Spiked Pressure Pulses -スパイク状圧力パルス)」と呼ばれる耳には聞こえない超低周波の衝撃波を事実上無視している。その結果、どれほど住民が苦痛を訴えようとも、システム上は「基準値内」として処理されてしまう。
聴覚学の権威である米国ミシガン州立大学のジェリー・パンチ (Jerry Punch) 名誉教授は、ウィスコンシン州公共サービス委員会 (2025.7) 等の場において、風力タービンが発する人間の耳には聞こえない音の衝撃波「SPPs (スパイク状圧力パルス)の危険性」に言及した(8)。博士は、これが内耳の前庭システム(平衡機能)などへ悪影響を及ぼすことを明示し、めまいや頭痛をはじめとする「風車病 (Wind Turbine Syndrome)」(9) と呼ばれる健康被害への深刻な警鐘を鳴らしている。直近では2026年3月、EU議会のシンポジウム「Unheard but Not Harmless (聞こえないが、無害ではない)」においても、この「風力発電による低周波音」の健康への影響について議論がされたところだ (10)。しかしながら、業界や行政が「dBA (A特性音圧レベル)」という自らに都合の良いルールを堅持する限り、住民側による論理的な主張は単なる「主観的なノイズ」として切り捨てられてしまう。最初から「負け試合」の正体がここにある。
私たちは今「NIMBY(Not In My Backyard)」という言葉に付きまとう「利己主義」というレッテルを跳ね除け、自然との共生を基盤とした「日本」という生活圏を死守する「積極的なNIMBY」へと意識を転換すべきではないだろうか。脱炭素という大義名分の裏側で、地方が一方的に犠牲を強いられる不条理をこのままにしていいはずがない。
今まさに求められているのは、真の環境保護とは何かを根本から再定義し、地域住民の切実な生存権と調和する「誠実なエネルギー政策」を民主的なプロセスの下で再構築することである。「NIMBY」として正当な声を上げることは、私たちが愛する土地の歴史、そして未来を自らの手に取り戻すための決然たる第一歩に他ならない。日本の国土は、私たち国民全員が守り抜くべき、かけがえのない「裏庭」なのだ。
*大統領令における「新規リース対象海域の撤回」は依然として有効であり、「開発エリアを拡大させない」という根幹の方針は維持されている。